名犬「クロ」が愛した人々

こんにちは、わさびです。

先日、日本の競馬の歴史について書いた記事の中に数行だけ登場した「シベリア抑留」。 

今日は、そのシベリア抑留に関する奇跡のような実話を改めて思い返したいと思います。

www.wasabidayori.com

シベリア抑留とは

まずはじめに、シベリア抑留の大まかなおさらいをしておきたいと思います。

シベリア抑留とは、第二次世界大戦後、日本がすでに武力解除をしていたにも関わらず、ソ連が満州等にいた日本人を自国の各地にある強制収容所に連行し、過酷な環境下で奴隷的労働を強いたソ連の国家犯罪の事です。

このシベリア抑留で、約57万5千人の日本人が連行され、約5万人もの人達が飢餓や寒さや重労働で命を落としました(日本政府調べ)。

そんな酷い労働条件だったにも関わらず、日本人のシベリア抑留者は、鉄道や運河などの建設、炭鉱や鉱山などでの作業といった仕事を丁寧にこなしています。

ウズベキスタンにある「ナヴォイ劇場」などは、そんな日本人抑留者が建てた立派な建築物として有名な劇場です。

クロとの出会い

強制労働のための収容所はソ連各地に広がっていて、ソ連極東に位置するハバロフスクにも日本人は抑留されていました。

ハバロフスクは、真冬の気温がー30度を下回る事もあるとても寒い地域です。

そんな寒さの厳しい地方で、ある生後間もないメスの仔犬は捨てられました。

いつ捨てられたのか
いつからここにいるのか
仔犬は道の片隅で寒さと不安に震えていました。

そこに偶然通りかかった抑留者の河田市郎さんは、この小さな命を放っておくことがどうしても出来ませんでした。
河田さんは、この小さな黒い仔犬を抱きかかえ、いったん工場の控室に連れて帰る事にします。

河田さんが仔犬を抱えて工場に戻ると、他の日本人抑留者もみんな優しく突然のこの小さな訪問者を迎え入れました。
そして、なんとそのまま宿舎にこっっそりと持ち帰って内緒で飼い始めてしまいます。

抑留者が勝手に収容所で犬を飼う。
こんな意味不明で面白い事をする民族は、世界広しと言えど、日本人くらいではないかと私は思います。(・∀・;)

日本人は、自分の食べる物さえない環境の中で、毎日、自分達の食べ物を仔犬に分けてあげました。
そして、仔犬の毛の色が黒かったからかこの仔犬を「クロ」と名付けてとても可愛がります。

が、当然いつまでも見つからない訳はなく、ソ連兵の看守にバレてしまいます。

ソ連兵の看守は、日本人にクロを拾った場所へ再び捨てて来るように命じました。

抑留されている日本人がソ連兵の命令に逆らえるはずもなく、仕方がなしに彼らは、クロを宿舎から5kmも離れた元の場所へと返しに行きました…。

が、しばらくすると、クロは自力で日本人の宿舎に戻って来ました。

お帰り〜!! ٩(*´꒳ `*)۶

日本人はみんな大喜びしてクロを再び迎え入れます。
そして、またソ連兵に怒られて5km離れた元の場所に戻します。

しかし…

クロ再び登場!! ٩(*´꒳ `*)۶

ソ連兵怒る。

クロ再び!! ٩(*´꒳ `*)۶

ソ連兵…怒る。

クロ登場!! ٩(*´꒳ `*)۶

ソ連兵…。

クロ!!! ٩(*´꒳ `*)۶

ソ連兵…( ̄д ̄;)どうでもええわ。


こうして何度も繰り返しているうちに、クロが日本人の宿舎にいても、ソ連兵はもう何も言わず黙認するようになりました。

共に過ごす日々

ソ連兵に宿舎から追い出されなくなったクロは、毎日、重労働に出掛けて行く日本人を見送り
そして毎日、重労働を終えて戻って来る彼らを出迎えました。

日本人は、クロをとても可愛いがり、相変わらず自分達も足りない食料を分け与え、抑留生活の苦楽をクロと共にしました。

そして休日になると、唯一許されるようになっていた野球をクロと一緒に楽しみました。
もちろん、この野球にバットやボールが与えられるはずはなく、丸太や手作りのボールで代用していました。

そして
この野球におけるクロの任務は大変に重要なもので…
鉄条網の外に出てしまったボールを取りに行く事でした!(`・ω・´)

これは、日本人が勝手に取りに行く事ができなかったからなんですが…
まるで全てを知っているかのような本当に賢くて不思議な犬ですよね。

命を懸けた願い

f:id:pitann:20190604234400j:plain

t********************mさんによる写真ACからの写真

そんなクロとの抑留生活が1年ほど過ぎた1955年、日本とソ連との話し合いがようやく纏まって、抑留されていた全ての日本人がついに帰国できる事になりました。

戦争が終わり、不当に拘束されてから実に10年以上の年月が過ぎていました。

疲弊しきっていた日本人は、当然誰もがこの帰国を心から喜びました。
もちろんハバロフスクに抑留されていた日本人も大変に感激しました。
が、彼らにはひとつだけ特別な気がかりがありました。

クロです。

彼らは、収容所で苦楽を共にしたクロと一緒に日本に帰国したいと願いました。

しかし、そんなささやかな願いにさえソ連は立ちはだかります。

ソ連はクロの出国を許さなかったのです。

クロの乗船許可がおりないまま、1956年12月、ナホトカ港に「興安丸」という日本の船が入港しました。
この入港は、もちろん最後まで抑留されていた1025名の日本人を無事に日本へ連れて帰るためです。

ハバロフスクに抑留されていた日本人も約800kmの距離を移動し、ナホトカ港に到着しました。
そして、ナホトカ港にはクロの姿もありました。

彼らは、何とかクロも一緒に日本に戻れるよう訴え続けていました。
が、ソ連側の回答はやはり冷たいものでした。


1956年12月24日
ついに興安丸が1025名の日本人抑留者を乗せて動き始めます。

その時、乗船許可がおりていなかったクロは、港に1匹で残っていました。
が、興安丸が動いている事に気がついて、置いて行かれまいと船を追いかけ走り始めました。

クロは、あっという間に港を出て流氷の海を進み始めます。
クロが流氷をつたって海を走って来る事に気がついた日本人は叫びました。

港に戻れ!!

クロは、全く聞こうとはせずに、自分から離れて行く興安丸を全力で追いかけました。
日本人は必死にクロに向かって叫びます。

クロ、港に戻れ!!
死ぬぞ!!

皆が必死に叫んでも、クロは興安丸に向かって走り続けます。
割れる氷に足を取られても、刺さるように冷たい海に落ちても、クロは追う事を諦めませんでした。

頼むから岸に戻れ!!

誰がどう叫んでも、クロは自分から離れて行く船を追い続けました。
クロは、極寒の海に落ちながらひたすらに進み続けます。
それは、命を懸けたクロからのお願いでした。

大好きです!!
私も一緒に連れて行って下さい!!

ただそれだけを願って、クロは冷たい流氷の海を進みました。
港はすでに遥か遠く、クロには戻る意思はありませんでした…。


甲板が騒がしい事に気がついた船長の玉有勇さんは、クロが興安丸を追って流氷の海を進んでいる事を知ります。

そして、船を追って氷の中を懸命に進む犬と甲板で泣きながら叫ぶ日本人を見て決断します。

興安丸を停止させよ

しかし、興安丸の停止はソ連側の了承がなければ出来ない決まりになっています。
国と国との規則を破るのですから処罰をされても文句は言えません。
それでも、玉有さんは続けて言いました。

犬を救出せよ

終わりに

クロは無事、興安丸に救出されました。
甲板に引き揚げられたクロは、嬉しそうにあちこちを駆けずり回ったといいます。

そしてその2日後、日本人とクロを乗せた興安丸は日本の舞鶴港に到着しました。

その後、クロは日本でずっと幸せに暮らしました。


この日本人とクロの物語は、10年以上にもわたる悲惨なシベリア抑留の中で、唯一ともいえるほど珍しい優しいエピソードのひとつです。
が、一方で、この優しいエピソードを作りあげたのが日本人と1匹の捨て犬だけだったという事実に、やはり世界の厳しさを思い知らされます。

人間の命も投げ捨てるソ連兵と
犬の命も拾い上げる日本兵

なにが違ってこれほど違うのか…

私にはよく分かりませんが、そんな日本人がたくさんいる日本という国をクロと同じく私も大好きです。

クロは寒い国の生まれなので、日本の夏はあまり好きではなかったかも知れませんが…。(笑)